戦争当時の日記・我が家の新聞

戦争当時の日記

太平洋戦争中に兵庫県加古郡東二見に住む、国民学校高等科1年生(現在の中学1年生)森本隆君が書いた日記です。隆君は絵や文章を書くことが得意で子でした。彼は弟や妹の食事の世話をしたりしてお父さんが戦争に行っている間、家を支えようと思っていましたが、病気がちで学校に行けたり行けなかったりしていました。その子が昭和20年5月28日から昭和21年4月1日まで毎日書いた日記です。節約することが当たり前だった時代、1行の中に2行を書いて、行の最後まで毎日熱心に書いています。

太平洋戦争末期、この播磨地方もアメリカ軍の戦闘機が飛びかい、空襲警報が毎日のように鳴り、食糧難で日々の暮らしが窮屈になってきている様子や、そんな中でも近所の方々と助け合いながら生活をしている様子を、子ども目線でありのままに書かれています。


我が家の新聞

我が家の新聞は、森本隆くんが、戦地へ行き負傷して広島の病院へ入院しているお父さんに向けて、家の様子や親せきのおじさんおばさんの様子、そして当時の戦況を知らせるために書いたもので、全24号発刊しています。昭和19年10月下旬号から昭和20年7月までが残っています。

この家族は、終戦前の昭和20年頃、父、母、と5人兄弟の7人家族です。父は出征し、戦地で負傷して広島の病院で過ごしています。母は家事をしたり、子どもの世話をしたり、縫物をしたりと毎日大忙しです。長男「隆」は、国民学校の高等科ですが、病気がちで家にいることも多かったようです。体は弱かったようですが、絵が上手でこの「我が家の新聞」の作者です。長女「益江」も国民学校に通っており、弟の子守をよくしています。次男「日出男」は、最初は幼稚園で4月から国民学校1年生です。三男「眞司」は、3~4歳ぐらいでやんちゃ盛り。四男「昭美」は、1~2歳ぐらいで、ようやく歩き始めた赤ちゃんです。近所の人が出征していく様子や空襲から避難する様子などから、ひたひたと戦争の激しさが足元に迫ってきていることがよくわかります。