○沿革史

○飛行場建設に至る経緯

○編成された部隊

○地図で見る飛行場の変遷

○配備された飛行機

飛行場建設に至る経緯

加古川飛行場建設に至る経緯を当時の新聞からみることができます。


 
(1)「昭和10年3月15日 大阪 毎日新聞」 

関西地方防衛のため 飛行1個連隊を増設 
有力候補地は大阪か姫路 陸軍の防空4か年計画 

近代戦においては、空軍の優劣により勝敗を左右する点が多々あるので、林陸相は就任以来、我が貧弱な航空並びに防空部隊の刷新計画を練った結果、いよいよ本年から向こう四か年計画で空軍の常設を決意し、目下着々その準備を進めているが、その一部として特に我が国土防衛の立場から見て、東京付近とともに重要地域と言われている大阪付近に、関西防空飛行隊ともいうべき新鋭の飛行一個連隊の増設を断行することに内定した。新鋭飛行連来の新設地は、未だ陸軍首脳部間で最後的決定を見ていないが、最も有力な候補地は、大阪付近か又は姫路付近に内定した模様である。新設の時期は「事情の許す限り早く」という立場から、新設計画を推し進める意向である。この連隊には、もちろん陸軍の最新鋭機を網羅するものとて、増設費は少なくとも三千万円をようする想定で、従来重要地域の防衛には相当遺憾の点があった近畿地方も、近くこの新鋭飛行隊の増列により、ようやく安全性を増したわけである。なお現在の我が防空兵力は、わずか飛行八連隊(二六中隊)気球一隊(二中隊)高射砲一連隊を有する貧弱極まるもので、防空飛行隊ともいうべきものとてもなく、列強と比較した場合には、到底問題にならないところから、ついに今度の緊急航空防空兵力の四か年増設計画となったもので、年度内に投ぜられる費用は、四千八百三十四万円である。 
田中第四師団三謀長談 大阪のような大都の都市防空の見地からいっても、付近に空軍設備の必要なことは勿上、大阪に連隊でも出来ればこれに越した結構なことはないと思う。 
 

(2)『昭和11年6月9日(火)神戸又新日報 第1面』 

 

我が国の心臓部 京阪神地方に飛行隊を新設か 

航空部隊の新設を企画する 陸軍の空軍充実計画 

近代における空軍の威力がますます重要視せられ、世界列強はいずれも競ってその拡充に莫大なる予算を使用しつつある現状にかんがみ、我が陸軍においても満州事変以来、特に航空部隊の充実に意を用い、各年度予算ごとに相当額の経費を要求しつつあり、昭和十二年度以降六か年計画によって実施される軍備充実案においても航空部隊の充実が主要なる部門をなしているが、陸軍が企画する空軍充実は、まず現在の部隊の人員機材の増加を図り、満州事変前約六〇〇台と発表されていた陸軍の保有機は、事変中に民間の献納機や陸軍自身の製作したものを加え、現在では一千機に達しており、航空部隊の増加はもちろん、日満共同防衛のため満州国に派遣されているものも未だ相当数に上がっている。一方人員においてもちくじ増加しつつある有様で、いよいよ今度は部隊の新設に着手すべく時機を待っているが、新設飛行隊の候補地としては、北方第一線確保の意味から北海道、東北地方の内一か所、中部工業地帯守護のため京阪神地方または中国地方に一か所、九州の内一か所が最も有力な候補地と見られている。 
 

(3)『昭和11年6月5日(金)神戸新聞 朝刊第11面』 

 

いよいよ加古川下流に 国防部隊を設置 

人家を買収して直ちに着工 意気込む十師団当局 

かねて県下加古川下流域地方において敷地を選定されていた国防費予算も通過したのでいよいよ姫路第十師団たん任のもとに本年度において直ちにこれが設置に着手することとなり、師団経理部当局は四日兵庫県庁を訪問。県当局と会見、打ち合わせるところがあった。この関西地方最初の国防上重要なる某隊を設置する場所は、加古川町南方の加古郡尾上村今津付近の加古川流域をもって広き沖積層をなし、有名な尾上の松林を含み、一部民家もあるが、多くは耕作地で陸軍省としては、広く関西方面にわたり調査した結果、最も適当な敷地として白羽の矢を立てただけに、理想的な土地とされている。これが完成までには相当時日を要するが、国防上その設置を急がれているので同師団としては直ちに買収に着手し引き続き建設工事にかかる方針らしい。 

なお師団側では買収の交渉はなるべく速やかにこれを結了するため、全然権謀衛策を避け、率直に交渉を行い、価格も地価を標準とし、予算の許す限りの範囲内で公正妥当と認められる価格をもって買収する方針で買収談が成立せば、必要なる部分に対しては買収費の先払いをなし家屋の移転に対しても期間を〇へる方針だとのことである。 

熱望叶って地元は大喜び 

国防部隊の設置については有力な候補地とて加古川尻の県下加古郡尾上村今津方面があげられていたことは当時朗報のとおりであるが、いよいよ同地方に決定しこの報を受けた地元民は狂喜している。 

決定した埋立地は加古川の東岸に位し、全国に名高い尾上松林に近く、風光明媚の地で西方は加古川の清流に、南方はは播磨灘に位し、広大約四十万坪の平地は水田と松林で埋まっているが煙霧高圧線、煙突など全くなく、国防部隊の活動には最適地である。 


(4)『昭和11年6月6日(土)神戸又新日報 第5面』 

 

加古川下流に ○隊を建設! 九月頃工事に着手 

非常時日本に地元の援助望む 

かねて姫路師団団管下、加古川流に某隊が設置されるべく予想されていたが、いよいよ近く同師団のたん任で堂々建設着手の運びとなった模様である。位置は加古川下流東、高砂海岸付近、加古郡尾上村今津区内で、近日中に土地買収が開始さるべく、さすがに軍部らしく地方民に対し最大の理解と周到な用意をめぐらせている。 

すなわち同地域は耕作地であり、また若干の民家も含まれているため相当の大問題であろうが、当局としてはあくまで策動を排撃し、率直明朗に交渉、地元民のよき理解により急速に買収したい希望のようである。価格については時価を標準にし、土地を失いまた家を立ち退かなければならぬ者に同情し、予算の許す限りの額を支給さるべく予想されている。 

従って従来、まま問題の起こりがちな会社工場等の土地買収と異なり、非時時日本を飾る麗しい報国精神によって実現さるべく、この際予定地区の人々の献身的理解と地方官民の一致援助が切望され、順調に交渉のはかどるよう期待されている。坪敷等は不明であるが、当局は土地の買収、はかどり次第建築工事にかかるよう待機中で、しかも立ち退きその土地の人々の要求により、最大限の余裕期限を考慮に入れてあるらしく、また交渉の難しい向が出来ても、土地収用法のごとき法律を適用してやるようなことがあってはならないと、ひたすら地元民の熱誠が希求されている。 

買収は急速に交渉を開始九月ごろまでにかたをつけ工事に着手の模様で同方面に大きな反響を起こしている。
 

(5)『昭和11年6月28日(日)神戸又新日報 第1面』 

 

加東と加西に有力候補地 加古川飛行場敷地の 

地元小作人の移転問題 

加古川飛行場の新設に伴う地元小作人の移転問題については、過般地元代表が県庁に、せえ見経営部長を訪れ、家屋のみならず耕地の移転についても円満に解決し得るよう斡旋方を陳情したので、県耕地課で適当な移転地を調査しているが、飛行場建設敷地は加古郡池田部落の海岸に面した九十町歩の土地で、立ち退かなければならぬ小作人は、大体三十二戸で、そのうち一部は村内で融通をつけることができるから、結局残り二十五、六戸は他地方に移住しなければならない。 

しかして同村では付近の国有林四十町歩を払い下げを受けて開墾する考えで、払い下げ申請をしたが、すこぶる困難な模様なので、さらに県下に適当な候補地を物色しているが、加東社町付近の嬉野と加西郡國民高等学校付近の鶉野が有力な候補地にあげられている。両地とも平田地で、嬉野は開墾すれば水田六百町歩、畑二百町歩、鶉野なら水田二百町歩を得られる見込みで、全部民有地で一段あたり三十五円から百円ぐらいで買収できる。また、五町歩以上の集団開拓には開墾助成法による事業費の四割を国庫から助成してくれるので、県ではなるべく早く適当な移転地を決定して地元民と話を進めることになった。 

 

加古川飛行場で編成された部隊

部隊略歴概要記載の順序と記録内容
凡例:①通称号 ②編成時期 ③編成地 ④展開 ⑤復帰 ⑥部隊長名
1. 中央官衙(官庁の建物)
  加古川教導航空通信団
  名称:①加古川陸軍航空通信部隊 ②昭和20.5.3 ③加古川で編成 
  ④陸軍航空通信学校の教育隊を改編、司令部、第1教育隊(旧加古川教育隊)、第2教育 隊(旧尾上教育隊)、第3教育隊(旧神野教育隊)第4教育隊(旧菊池教育隊)教導整備隊からなる。少年非行兵の教育担当、陸軍航空本部長隷下
  ⑤17.10.15 廃止大阪陸軍航空廠に改編 ⑥陸軍少将 渡辺粂一(陸士31期)

2. 航空廠、野戦航空廠、野戦航空修理廠、野戦航空補給廠
  大阪陸軍航空支廠
  ②昭和16.8.1 ③大阪 ④各務ヶ原陸軍航空支廠から編成替になった八日市、加古川両分 廠に、下関分廠を加えて発足
  ⑤17.10.15 廃止大阪陸軍航空廠に改編 ⑥陸軍大佐 小久保勝弘(陸士26期)
 大阪陸軍航空廠
  ①師第34204 ②17.10.15 ③大阪 ④大阪陸軍航空支廠が昇格19.10.16伊丹分廠設置
  ⑤20.11.14大阪、分廠の所在地 八日市、伊丹、加古川、出張所の所在地 京都、明石
  ⑥陸軍大佐 原 弘(陸士27期)

3. 航空大隊・飛行戦隊等
 飛行第13連隊【加古川で編成】
  戦闘 ②12.12.1 ③加古川 ④95式戦闘機(キ-15)⑤13.8.30 加古川、飛行第13戦隊に改 編 ⑥陸軍大佐 神谷正男(陸士25期)
 飛行第13戦隊【加古川で編成】
 戦闘 ①誠第11703 ②13.8.30 ③加古川 ④95式戦・97司偵・97戦・1式戦・2式複戦・4式 戦 飛行第13連隊を改編、第1飛行集団隷下
16.12.8~17.12.31柏に移住 帝都防衛 17.3 2式複戦に機種改変
18.5.11 ラバウルに展開、防空任務、ウエワクに前進、海上輸送援護
18.12.31 ハルマヘラ島ガエラに展開、対潜哨戒、船団援護
19.1月一式戦に改変、アンボン防空、10.9伊丹で機種改変
19.12.3 比島ホーラック推進、比島航空作戦に参加
20.3.15 サイゴンに移動、戦力回復、第8飛行師団隷下、20.7.15屏東に展開
⑤20.8 台湾屏東で終戦
⑥陸軍大佐 神谷正男(陸士25期)・中佐 近藤三郎(陸士28)・大佐 立山武雄(31)
 中佐 秋田熊雄(33)・少佐長野綱雄(42)戦死・少佐 町田久雄(47)・少佐 中野和彦(52)戦死・少佐丸川公一(53)
 
飛行第246戦隊「加古川で編成」
 戦闘 ①天鷲第19196 ②17.6.30 ③加古川 ④97戦・2式戦・4式戦
 第18飛行団長の隷下に入り阪神地区の防空。1中隊は千歳に派遣、主力は尾上に移住
18.12月 主力は台湾屏東に派遣、台湾の防空
19.3月 屏東派遣の主力は柏原に移住
19.11月 比島に前進 比島作戦に参加 第11飛行師団隷下
20.2.15 大阪(大正)に移駐、中部地区の防空
 ⑤20.8 大正で終戦
 ⑥中佐 宮本武夫(40)・少佐石川貫之(50)

4.独立飛行隊・独立飛行中台・直協隊・輸送飛行隊・輸送飛行中隊
 独立飛行第102中隊
 司偵 ②16.7.20 ③加古川で編成 ④97司偵 内地を主要活動地域とする。
 ⑤17.7.21 加古川 第18飛行団司偵中隊と改称 ⑥大尉 山本礼二(小19)
 陸軍航空輸送部 第6飛行隊
 輸送 ①第4338 ②19.1.31 ③大阪(大正)
 ④19.5月~19.7月の改編により加古川に移住、4小隊編成にて主として2式複戦の輸送 を担当。マニラ、ホランジャの前線基地に補給、19.11月~20.4月サイゴン・バンコック、昭南、海南島等の基地に補給 20.5.5八日市に移住
20.5月~20.7月主として平壌及び屏東の基地に輸送
 ⑤20.8.15 八日市で終戦 ⑥少佐 柴田 憲一

5.教育飛行連隊・錬成飛行隊等
 第103教育飛行連隊
 偵察 ①中部第115 ②17.5.3 ③加古川
 ④17.5月熊本県菊池に移住17.11.2 飛行第2戦隊より軍偵1コ中隊編入編成改正
 下士官、少年飛行兵300名の操縦教育 18.9月下関港出発 18.10月マニラ上陸リパ着、招集下士官、少年飛行兵90名の操縦教育
 ⑤19.3.31復帰第3教育飛行隊と改称 一部を第30教育飛行隊へ転出
 ⑥中佐 持田 政二 (32)
 第114教育飛行連隊
 戦闘 ①隼第15301 ②18.8.31 ③加古川 第101教育飛行連隊1部をもって編成
 ④同地において戦闘機基本戦技教育実施、並びに阪神地区、防空と哨戒を実施
 ⑤20.8.15 終戦 9.3 復員
 ⑥中佐 秋田熊雄(33) 少佐 上原重雄(52) 少佐 山田 武 (45)
 第24教育飛行隊
 重爆 ①羽第15354 ②19.3.3 ③加古川
 ④第1教育隊より転入せる人員資材を基幹として編成。4.5加古川出発 4.9熊岳城着、5.27熊岳城出発、5.29龍江省平安鎮着、同地にて一式双練、九九双練、100重にて重爆撃機基本戦技教育を実施。20.4.20龍江省チチハル着同時に展開。8.11空中部隊三十里堡着
 ⑤20.9.8部隊主力三十里堡にて、武装解除
 ⑥中佐 大西豊吉(40)・少佐 荒川 功(少飛18)・少佐 下村 将(53)
 第32教育飛行隊
 戦闘 ①富第15355 ②19.2.25 ③加古川
 ④19.4.6 加古川発 19.4.19ネグロス島ファブリカ着 同地にて幹候、特操第1期生の基本戦技教育を実施 7.19ラカルロタに移駐、教育を実施9.12 97戦25機で米機動部隊邀撃、19.10空中部隊はクァラに移駐、地上人員は12.8マニラ終結。20.1.10バンコク着
 ⑤20.1.31部隊復帰。ネグロス残留隊は現地で作戦参加
 ⑥少佐 松本 強(少19)
 第六錬成飛行隊
 司偵 ①空第523 ②19.7.31 ③兵庫県三木
 ④100司偵により錬成教育を実施 ⑤終戦 20.9.3 復員
 ⑥少佐 羽根 俊平(46) 少佐 角田 雄三(50)
 第二航空教育隊
②13.7.5 ③平壌
④爾後同地において新兵基礎教育、特殊教育を実施、16.2.5加古川へ移住
⑤18.9.17 編成復帰 加古川航空通信学校と改編
⑥大佐 難波 了三(25)大佐 戸塚 秀三(26) 大佐 伊藤 正一(28)
大佐 中山 眞積(30) 大佐 阿部 圭一(24)

6. 航空地区司令部・飛行場大隊等
 第61航空地区司令部
①靖第19360 ②20.6.15 ③加古川 ⑤20.11.1 加古川 ⑥大佐 宮城 重(29)志賀 覚

 第24飛行場大隊
①    治第9922 ②16.7.15 ③加古川
 ④ 16.7.30龍江省鎮着、9.19平安飛行場に移住12.1平安出発 12.8フィリピン、バタン島バスコ飛行場着、12.22よりルソン島ラオアグ、サンニコラス飛行場においてマニラ攻略戦に参加。17.2.10より7.23ジャワ島エンタン上陸ジャワ攻略戦参加7.24より18.9.16ビルマラングーン、シンガポールに於いて航空修理業務に従事。18.9.17~20主力ジャワ、バンドン、一部ジャワ、バタビヤ、ボゴレ「、スマラン、タクシマラヤ等に分駐 
 ⑤ 20.9.2 停戦 22.3.23 バタビア港出発 4.6宇品港上陸復員
 ⑥ 大竹郁三郎 少佐 徳永恒雄(少飛10)

 第151飛行場大隊
 ① 城第9925 ②19.6.26 ③加古川 ④7.12門司港出発 7.31輸送船 吉野丸 バリタン海峡にて魚雷攻撃を受け沈没。大隊長以下150名生死不明となる。
8.2ルソン島バンキ港上陸、9.2ポーラック飛行場展開、8.2から第1次捷号作戦参加、

 仮編成、第13機関砲隊に配属


地図で見る加古川飛行場の変遷

下の図は加古川飛行場が建設される前、飛行場運用時、現在の様子を表した地図です。またその下の地図は加古川飛行場の施設配置図と本部の部屋割りの図です。そしてその下は戦後すぐに取られた空中写真と現在の写真に飛行場の位置を当てはめたものになります。

配備された飛行機

九五式戦闘機(キー15)

 

1937年(昭和12年)12月1日加古川飛行場完成により、福岡県の太刀洗飛行場から飛行第13連隊がやってきました。その時に配備されたのが川崎航空機制の九五式戦闘機(キ-15)20機です。この戦闘機は複葉機としての完成度が非常に高く、日中戦争初期において日本陸軍航空隊の主力として大きな戦果を挙げました。しかし航空技術の急速な進歩により単葉機が主流となると性能的に限界を迎え、後継機に道を譲ることになります。それでも「日本陸軍最後の複葉戦闘機」として航空史に名を残す重要な機体です。 

九五式戦闘機(キー15) 川崎航空機製

加古川上空を飛ぶ九五式戦闘機


配備された飛行機

九七式戦闘機

 
1940年(昭和15年)戦闘機は九五式戦闘機から最新鋭の九七式戦闘機(キ-27)へと機種変更されました。九七式戦闘機(キ27)は、日本陸軍初の本格的な低翼単葉戦闘機で、徹底した軽量化と優れた運動性を武器に敵機の後ろに回り込む格闘戦(ドッグファイト)を得意とし、 「世界最強のドッグファイター」と評されました。また操縦がしやすくて燃料消費が少なく、整備もしやすいこともあり加古川飛行場では飛行教育隊の訓練用や特別攻撃隊の搭乗機に転用され、終戦まで使用されました。 

九七式戦闘機(キー27)

九七式戦闘機での練習風景